A.D. 〜我ら主の年〜(第2話)
出会いの日 02
堀井進は少年が目を覚まさないうちにシチューの調理を済ませようと、急いで牧師館2階の本条一家の自宅スペースへ駆け上がり、勝手知ったるキッチンに入った。
シンク下の野菜ストッカーからジャガイモ・タマネギ・ニンジンを取り出し、冷蔵庫ものぞいて見たが、思った通り大したものが入っていない。彩りにブロッコリーなどの緑色の野菜や、タンパク質系の材料も欲しいところだ。スーパーに買い物に出かけても大丈夫かと思案しながら、1階の共有スペースに戻り、信徒用の台所に持って来た材料を置いたところで、
「船長、エンタープライズから通信です。」とかん高い女性の声が割って入った。
もちろんこれは堀井のケータイ着ヴォイス。
海外ドラマオタクの彼は着ヴォイスを『スタートレック』公式サイトから拝借していたのだ。
「やっほー、香織だけど、何か要る物ある?」
「全く、誰かと思えば…。学校でケータイ使ったら、取り上げられるんじゃないのか?」
「大丈夫だよ。今ガッコじゃないから。校門までは行ったんだけどさ、気分悪くなったから引き返してるトコ。」
「ええっ? お腹でも痛いのかい?」
「違うよ。そういうコトにしといてね、ってハナシ。それで、要る物あるでしょ? ウチの冷蔵庫いつもほとんどカラだもん。」
さすがに本条家の女性は現実を把握している。
「買い物は自分で行くからいいよ。こんなことで学校サボったらまずいって。」
「だって、堀井ってば子どもの扱いとかニガテでしょ? すっごく気になるんだもん。それで、タンパク質は要るの、要らないの?」
「…トリの胸肉300…いや、200でいいかも。」
「胸肉200ね。あとは?」
「…ブロッコリー。」
「分かった。こっちも頼みがあるんだけどさ、ウチの電話でガッコに休むって連絡しといてくんない? 理由はさっき言った通りでいいから。」
「き、教会の電話でズル休みの連絡しろってか?」
「ドコにあったって、電話は電話だってば!」
「それはそうだけど…」
堀井はなおもブツブツ言ったが、言いたいことを言い終えた香織が向こうから切ってしまったので、諦めてケータイを上着のポケットに戻した。
とにかく、シチューに必要な材料は確保したので、いやな仕事をやっつけてしまおうと、共有スペースを抜けて牧師館の玄関に向かう。扉の隅のカウンターにファックス電話があり、堀井はカウンターに吊るしてあるアドレス帳で香織の通う高校の番号を確認し、言われた通りに電話をかけた。
もちろん、ズル休みは褒められることではない。
だが、高校生という年齢を考えれば、好奇心を抑えられないのも道理だろう。自分と同じように、あの子が目を覚ます時その場にいたいだけなのだ。
受話器を置いて、何気なく掘り炬燵の畳部屋を振り返ると、少年がパッチリと目を覚まし、布団から身を起こしてじっとこちらを見つめていた。
「やあ、目が覚めたんだね。」
堀井は努めてさりげなく、声をかけてみたが、予想した通り返事は返って来なかった。透き通るような白い肌と、明るい栗色の髪を見れば、誰でもこの子が日本人ではないと分かる。
「君の名前は? どこから来たの?」
「…」
質問してみても結果は同じだ。
「Could you tell me your name?」
試しに英語に切り替えてみたがやはり答えはない。日系ブラジル人の子どもではないかと踏んでいたので、これも彼の予想通りだ。ポルトガル語の分かる知り合いに連絡した方がいいのかも知れない。そう思いはじめた時…
“言葉は必要ないよ、堀井さん”
突然頭のてっぺんに、幼い子どもの声がひらめいた。
少年はエムパス、精神感応者だったようだ。これは全くの想定外だと、堀井は天を仰いだ。
「たっだいま〜!」
「おじゃましま〜す!」
香織がクラスメイトの滝本マヤを連れて掘り炬燵の部屋に入ると、少年と堀井が炬燵をはさんで見つめ合っていた。
「うっわ〜、いいムード! 堀井ってショタっ気あったんだ〜。」
かん高い声が集中力を妨げたようで、真っ先に声のする方を振り向いたのは少年だった。
「ない、ない! ヘンなこと考えるなよ〜、この子にはツツヌケなんだから!」
堀井の慌てっぷりを、少年が面白そうに眺めている。初めて彼の顔をまともにのぞき込んだ香織は、髪と同じ明るい茶色の、琥珀と見まごう瞳に吸い寄せられてしまった。
「君の瞳は、宝石なんだね〜。」
“ショタとは、君たち面白い性癖があるんだね。”
突然頭にひらめいた少年の声に、全員がびっくりして飛び上がった。
「そら見ろ、君がヘンなこと考えるから…!」
「おっどろいたぁ。この子、テレパシー使ってるじゃん!」
マヤのひと言で、初めて彼女の存在に気付いた堀井が、鋭い視線で香織を睨む。
「香織ちゃん、ちょっと。」
彼女をせきたてると部屋を出て、ふすまを閉めさせた。
「君だけだと思ったから大目に見たけど、サボタージュに友達を引っ張り込むのはよくないよ。」
「もちろん、悪いことなのは2人とも分かってる。」
香織も決してひるまない。
「だけど彼女は親友なんだよ。親友って、女の子の場合は特に、価値観とか趣味とか好みとか、分かち合えないとなるの難しいよね。
悪い例えかもだけど、もし私がOLで、バーゲン情報があっても同僚で仲のいい子に教えないで、一人でサボって買い物に行ったとしたら? 翌日その戦利品を着て出社して、バーゲンのコト話したら、同僚の子は裏切られたと思うんじゃない?
仕事や学校も大事だけど、バーゲンはその日しかないし、その場に一緒にいないと分かち合えないことってあるよね?」
“彼女にも一理ありだね、堀井さん。”
2人の頭に直接、少年の声が割って入る。
「すごい、離れてても分かるんだ!」
「…だから言ったろう、ヘンなこと考えるなって。」
「分かった。もうショタのことは、考えないようにするからさ。」
「…そう言って今、考えたんじゃないか?」
少年の笑い声は、子どもの頃両親と行ったクリスマス音楽会で初めて聞いた、ピッコロと言う笛の音に似ていると、香織は思った。
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