A.D. 〜我ら主の年〜(第4話)
出会いの日 04
少年を囲んでの昼食会は、思わぬ和やかさに包まれて始まった。
サラダの中に入っていた真っ赤なミニトマトにコハクが驚き、歓声を上げたのだ。直後に自分の反応に戸惑い、恥ずかしそうに両手で口を覆ってしまった少年の肩を、隣に座った香織が抱き寄せた。
「小さな子どもの歓声って、こんなに心地よいものだったとはなぁ…。」
その場にいる皆の気持ちを代弁するように、本条牧師が呟く。
堀井の手による怪しげなシチューを、都合3回もコハクはおかわりし、さらに香織やマヤの皿からミニトマトも少し分けてもらって完食したので、再び眠気に襲われている様子だったが、何事もマイペースのマヤが食後のコーヒーを飲み終えると、精神を集中させて皆に語りかけて来た。
“今日はボクのためにおいしい食事をありがとう。”
皆もコハクにならって、心の中で「どういたしまして」と念じたので、コハクの顔にほんの一瞬、笑みが浮かんですぐに消えた。
“でも、ホントのボクは皆の仲間に入れるような人間じゃないと思う…。”
“どうして…?”
コハク以外の皆の顔に、同時に?マークが浮かび上がったようだ。少年は目を落として先を続けた。
“本当のボクは逃亡者なんです。遠い世界で自分が果たすべき義務から、逃げ出して来てしまいました…。”
「君が果たすべき義務…って、学校とか、仕事とか、そういうこと?」
マヤが声に出して訪ねると、コハクは首を横に振った。
“いいえ。皆さんうすうす気付いてらっしゃるでしょうけど、ボクの住む世界は今から2千年以上は遠い未来で、ボクみたいに遺伝子強化されたESP能力者には、相応しい義務が課せられているんです。”
「い、遺伝子強化って、2千年後の未来では、人間に施すことが許されるようになってるのか?」
SFオタクでもある堀井が、コーヒーカップを脇に押しやり、グイと身を乗り出してくる。
“もちろん、防衛軍からこの計画が提案された当初は、地球連邦も政府として反対声明を出してます。だけど今は、軍の独断専行を黙認せざるを得ない状況に追い込まれてしまってて…。”
「まさか、外界からの侵略とか…?」
“ご明察です、堀井さん。ボクらが教わったところでは、ボクらが生まれる10年近くも前から、太陽系を乗っ取ろうとする別の銀河からの勢力の脅威に、地球はずっと晒され続けているそうです。
僕らが訓練を受けてる月基地はまだ健在ですが、木星のガニメデ衛星基地は去年連絡が途絶えたままです…。”
「そりゃ、黙認せざるを得ないわけだな。で、その外界の連中がESP戦力を擁してるんだな?」
“ええ、擁してるというか、生まれつきESP能力の高い人種みたいで…。”
「…とんでもない事情だな、コハク。まさかここまで話が大きいとは想像もしなかったよ。
となると遺伝子強化されて生まれた君たちは、大人になったらESP戦士として最前線に駆り出されてしまう運命だってことか…。」
“いいえ、牧師さん、ボクらは大人になることは出来ません。
遺伝子強化された子供たちは、18歳を過ぎるとESP能力が低下したり、突然失われてしまう現象が起こるんです。だから戦場に駆り出されるのは、14歳以下の子供と決まってるんです。”
「何だって?…いや、思春期を過ぎるとESP能力が低下するという話は聞いたことがあるが…。それじゃ、あと5年も待たずに、君は駆り出されてしまうってことに…。」
“その通りですよ、堀井さん。もっと小さい頃には、その日が来るのが楽しみだったこともあったんです。大人たちに認められて、一足早く一人前になれる気がしてたので。
でもたくさんの先輩達が駆り出されたまま戻らなかったり、重大な後遺症でベッドから起きられない身体になって戻って来るのを見たせいで、どれだけ侵略者への憎しみを植え付けられても、能力を思うように発動することが出来なくなってしまったんです…。”
周囲は水を打ったような静寂に包まれ、少年の透明なソプラノだけが頭に染み通ってゆく。堀井がふと目を上げると、目の前に座る本条牧師が空のコーヒーカップを穴の開くほど凝視していた。
「ええと、コハクには家族はいるの? 一緒に育った兄弟とかは?」
香織のこの問いかけに、皆の視線が再び少年に向けられた。
“いいえ、香織さん。ボクらは専門の施設で育てられるんです。どこかにボクを産んだ母親がいるとしても、決して知らされないでしょう。一緒に訓練を受けてる仲間なら12人いますが、兄弟というわけじゃありませんし…。”
「そりゃあ誰だって、逃げ出したくもなるよ。」
マヤがそう言いながら、コハクの頭に優しく手を置いた。
「何のために命を投げ出すのか、何も教わってないのと同じだもんね…。」
香織もマヤに同調し、少年の肩に手を置いて慰める。
和やかに始まった昼食も、終わりは静寂が支配した。
皆は無言のまま汚れた皿やカップを共有の台所に運び出し、後片付けを終える。コハクもその後は皆の心に語りかけることはなく、午後遅くに香織の整えた寝具にくるまると、すぐに深い眠りに落ちてしまった。
その夜、香織は牧師館の自分の部屋から寝具一式を持ち出して、少年の眠る掘りごたつの部屋で宿題を済ませ、床をしいて横になった。
自身の望まないESP能力を植えつけられ、その力で2千年の時を超え、世界を救う義務から逃れて来た少年の寝顔は天使のようで、香織はいつまでも見つめ、とうとう朝まで眠ることが出来なかった。
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